準備中の私塾

ふらりと立ち寄って何かを拾っていってもらえるように。。(一通り勉強してこられた一般の方向け)

英語とはこういうもの 2

長年、英語を勉強してきて思うこと:

・英語は語順で語る。日本語は「てにをは」でかなり自由に語順を変えられる。英語にも「てにをは」に匹敵する前置詞というものがあるけれど、いつでも使うものではない。語順で語る言語だから、なくても成り立つのです。前置詞がないと、とても簡潔でリズミカルになる。

語順が大事だから語順のパターンがいくつかある。そのパターンを知らないとワケが分からない。それが文型で、だから基本の5つの文型はとても大事。

ローマ字は日本語。英語をローマ字読みしても通じない。英単語の正しい発音の仕方を知っていないと、しゃべっても通じないし、ネイティブが言っていることも聞き取れるはずがないのでした。成人した頭では、まず英語にはどういう音があるのかということを知っておかないと、「何を聞くべきか」が分かっていないのでは、どんなに聞き耳澄ませても、聞くべきものは何も聞こえてこないのでした。

英語ではそのままの形でいろいろな品詞になる単語が多い。名詞がそのままの形で動詞にも形容詞にも副詞にもなったりする。これも、語順で語る言語なるがゆえ。最近(?)は日本語でもよく独創的に名詞を動詞化したり形容詞化したりしますけど、英語の影響でしょうか?

それから、英語はフランス語ほどではないとしても、日本語より古典的。正直、

どうでもいいとしか思えないルールがこなれずに残っている(古い日本語がどうだったかは知らないですけど…)。英語を何年勉強しようがそう感じることに変わりはなく、仕方のないこととは言え、その気持ちはますます強くなっています。動詞の形が主語の人称によって変わるとか、モノがひとつだけなのか複数なのか、通りすがりの見知らぬ人の性別でさえ、伝える必要性の低いことにも常にこだわらなければならない点のことです。これは正しく書こうとするのに余計な負担。

昔の言語学者が日本語を研究分析して、(言葉通りには覚えていませんが)これは系統立っていない未開な言語だとかなんとか言ったそうですが、あまり真に受ける必要のないことです。日常使う言葉に余計なルールが何の足しになると言うのでしょう。(笑)

言語というのは古典ほど難解。大昔、言葉に人工的に決まり事を作った時代があったのでしょうか?偉い学者さんたちには難解なほど高尚なのかもしれませんけど、日常、それを使う人々の負担になるような言語が優れているのでしょうか?そんなことはなかろう、と私は思います。

けれども、石井隆之さんが「英語構文マスター教本」で「……この特質のために英語構文は論理的で単純なものとなり、しかし、同時に多彩な表現を生み出せる能力を有しているのです。」と、私などにはまだ言葉にもできずにいたことを見事に表現してくださっています。日本人には少々素っ気なく、符号のような感触すらある英語だけれど、日本人でも高校卒業程度の英語力があれば、日本語より英語のほうが分かりやすい場合があったり、日本語では言いにくいことも英語なら言える、などということがあるのも、その体系の完成度によるものなのかもしれませんね?